Last Updated on 更新日2019.4.28 by 44@jyuku
「従業員とその家族を一番大切にする会社を作りたいんです。」
このような夢(=ミッション)を熱く語るのは、現在、大阪府堺市でIPUSE特許事務所とコンサルティング会社「How to Use」の2つの事業所で代表を務めている、志師塾卒業生の山本英彦さんです。
弁理士として、特許関連業務に携わる一方、現在は特許関連のノウハウを武器にした経営コンサルタントとしても精力的に活躍されております。
真夏の朝にもかかわらず、約束の時間よりもだいぶん早く、待ち合わせ場所に来ていただきました。実直なビジネスマンのような山本さんの、これまでに汗を流して歩んでこられた道とこれから歩もうとされる“いい会社を作る”ための道について伺ってきました。
この記事の目次
社会人デビューは工員から
現在は弁理士・経営コンサルタントである山本さんですが、社会人デビュー後に再度進学するという経歴をお持ちです。工業高校卒業後、大手精密機器メーカーに入社し、工員として働いていましたが、社会人のイロハを学んでいるうちに、「もっと今のうちに勉強しておかないと、将来不安だ」という漠然とした思いに至り、再度進学されたといいます。大学では、工業高校時代にも学んでいた電気工学を専攻されました。
そしてこのときの決断が、山本さんをエンジニアとしての道に進ませることになりました。大学院まで進学し、エンジニアとしての基礎的な力量を体得されてから卒業し、前途洋々とした気持ちで、改めて社会人の扉を開かれたのです。
弁理士受験と下積み時代
大手電線メーカーに再就職した山本さんは、大学時代の専攻とは異なる分野であるものの、エンジニアとして多忙な日々を送られていました。しかしながら、残業が多く、会社と自宅の往復だけの日々に自身を見失ってしまいそうになったといいます。
多忙な中、会社で受講した研修と特許の出願をきっかけに、山本さんは知的財産関連へと知的関心領域を広げます。この時の知的関心と“資格があったら食べていけるだろう”との軽い気持ちが、エンジニアの経験も活かせる弁理士資格取得へと舵を切らせました。
弁理士資格取得のため、大手電線メーカーを退職し、知人を介して、外資系の知財コンサル会社で勤務しながら受験勉強されました。早々と2回目の受験で見事合格され、合格と同時期に特許事務所に転職されました。
「特許・弁理士の仕事は、腕の差が出てくる仕事なんですよ。」と山本さんは言います。特許関連業務は、形式を揃えることが仕事でなく、いかに審査官を納得させる申請書面を仕上げられるかが、弁理士としての技量の差になるとのこと。山本さんは、まさに“腕”を磨くための下積みを重ねられました。
弁理士資格を取ってはみたものの
特許事務所での下積みは、山本さんにとって有意義なものでした。弁理士として一人前になるための技量を身に付けられたことに加え、特許事務に関する仕事を多くこなす中で、申請書の数々が「お客様に会社に本当に役に立っているんだろうか?」「結局どのように使われてるんだろうか?」と疑問を持てたことが、山本さんの一つのターニングポイントでした。
疑問を持つことで、「特許を使う側に行きたい」との思いを強くし、結果として転職活動の形で行動に移されます。山本さんは、特許を前面に押し出し、市場シェアでも優位に立つ、技術系の中小企業に就職されます。「本当にラッキーだったんですよ。」と、山本さんは仰いますが、「特許を使ってものづくりを応援したい」という明確な思いが企業とのご縁を呼び寄せたのでしょう。
経営者に触れる
中小企業に転職され、特許を使う側に立った山本さんですが、その資格と技量を活かして会社に貢献され、入社3年目には「社長の右腕とまではいかないけれど、左腕みたいな」と仰るように、会社の特許のみならず、製品企画のアイデアなども社長から相談され、ドキュメント化までを担うという、まさに側近と言える位置まで近づかれました。
「社長から薫陶を受ける機会も大変多かったと思いますよ。」自ずから経営者の立場に立った考えに触れることが多くはなったものの、一方で、「経営者はいろいろやりたいようにできるけど、逆にすごく大変だな」と、経営者の覚悟にも触れられたそうです。この時、山本さんは30代半ばでありましたが、“経営者”というものを意識するポイントとなったのです。
独立開業即バイト生活
「いつまでもこの社長の傘の下で一緒にやれることはない、と思って独立したんです。」山本さんにとって、在籍した中小企業の社長は、最初の経営の師でもありました。社長の企画をまとめるだけでなく、自身の企画提案をすることもありましたが、会社の事業とは方向性が異なる企画であったため、「中小企業向け知財の支援をベースとした企画を試したい、特許に強くない中小企業を応援したい」という強い思いで、独り立ちを望んだのです。
そして3年前、弁理士資格を活かしたいとの思いもあり、独立に踏み切りました。しかしながら、固有の顧客を引き継がない形での開業だったため、“客なし、金なし、コネなし”の状態で山本さんに試練を与えたのです。「弁理士資格を持っていても、“ただの人”でした。全くダメでした。」
窮した結果、行きついたのは、「とりあえずアルバイトで繋いでいく」ことでした。ただ、その選択は、実は現在の活躍をもたらす契機となったと言えるのです。
人との出会い、志師塾との出会い
アルバイト先は、ハローワークで見つけたコンサルタント会社が実施するセミナーの運営事務でした。「集客の勉強だと思って」、自身の営業力を高めるために役立つものと考え、アルバイトを始めました。
アルバイト生活を1年半程度続けた結果、「現在の人脈が多く形成できました。」と山本さんは述懐されます。セミナーの運営事務をしているうちに、同業の士業さんから紹介案件を受けるなど、人脈を広げる機会が増えていったのです。まさに、現在の事務所経営の基盤をなす人脈といえるものでした。
そのような横のつながりの一つが、志師塾との出会いでもありました。アルバイト先の代表者が、志師塾の五十嵐先生と懇意にしていることもあり、山本さんも志師塾のフロントセミナーの受講を勧められ、入塾することになります。
志師塾で学び、身に付いたこと
志師塾では得るものが大きく、特に「ポジションが自分なりに見えたので良かったです。」と山本さんは仰います。まだアルバイトをしている頃で、まさに身銭を切った上での入塾でしたが、コンサルタントとしてのポジショニングがご自身の中で確信に至ったのです。
山本さんは、志師塾では講座を2回受講しています。「志師塾(Web集客講座)は集客のノウハウはもちろん、ポジショニングを作り上げるのに最適な場所だと思います。私はポジショニングを2つ作ったので、2回受けたんです。」とのことでした。ご自身が経営コンサルタントとして領域を広げていくため、「弁理士という資格はあくまでも道具として使うもの」と考え、経営者としての判断をされたのです。
「志師塾では、講師の方との個別面談で、週に1回相談に乗ってもらえます。このおかげで、“コンサルタントとしての考え方”というのが身に付いたんです。特に2回目の講師は1回目の同期生で、“すごいな”と思うコンサルタントだったので、卒業後に志師塾の講師になったと聞いて、2回目の受講を決めました。1回目の講師ももちろん、尊敬するコンサルタントです。優秀なコンサルタントの方に個別対応してもらえることが志師塾の素晴らしいところだと思います。」
経営に関心が湧き、有資格者の看板効果がある前提で独立開業したものの、当初は集客面を中心に苦労をされました。その試練を克服できたのは、人との繋がりを活かし、継続的な学習意欲と向上心を持って取り組み続けたからなのです。
経営コンサルタントへ
「独立開業当初のIPUSE特許事務所と後に立ち上げたコンサルティング会社「How to Use」とは、切り分けがすごくできているんです。」
独立当初は、特許事務所で弁理士の資格を活用していこうとされていたのですが、現在は純粋に企業経営を支援することをメインに据えられています。「IPUSE(=屋号)というのは、Intellectual Property(知的財産)をUse(使用)するという意味で、“知的財産を活用しましょう”ということで独立当初からあったのです。それを昇華させると、“使い方(How to Use)“になり、例えば”特許や商標、コンサルまでもその使い方を教えますよ“といった経営コンサルティングが現在の姿なんです。」と山本さんは仰います。
山本さんの意欲はそれだけにとどまらず、企業の社外CFOとして支援をするキャッシュフローコーチ、企業の理念策定と理念の使い方(How to Use)をもコンサルティングメニューに付け加え、企業を全方位から支える経営コンサルタントを目指されています。
いい会社をつくりたい
経営コンサルタントのメニューを理念策定にまで広げていこうとしているのはなぜでしょうか。それは、山本さんが「いい会社を作ることが私のミッション」と考え、このミッションを保持されているからです。
きっかけは法政大学の坂本光司教授の書籍『日本で一番大切にしたい会社』を読んだことでした。そして何度読んでも泣いてしまうほど、書籍の内容に共感したそうです。そして坂本教授に師事されたのコンサルタントの講座を受講し、完了した時には、「開眼ではないけど、その時、“いい会社をつくりたい!”と思うようになったんです。」といいます。
“いい会社”の定義とは、幸せにすべきステークホルダーの順が決まっており、まずは何といっても、“従業員とその家族が幸せな会社”が“いい会社”なのだそうです。だからこそ、山本さんは、コンサルタントとして「“いい会社”作り」を支援することを仕事にしながら、自分のコンサルタント会社を“いい会社”にすることも目標にしているのです。
自分と会社は一体
エンジニアとしてのノウハウを活かすべく、若くして資格を取得され、弁理士としてスタートを切った山本さん。中小企業勤務の時の社長や、独立開業後のコンサル系の人脈などから多大な影響を受け、当初の個人の思いからは昇華して、“自分の会社をいい会社にする“という、経営者へと転身されたのです。
「“いい会社だな”と思う経営者さんに会ったんですが、その方は従業員さんの仕事や人生のことでものすごく親切に接しているんですよね。システムだけでは“いい会社”にできないので、経営者は本当に従業員一人一人のこと考えて、自分の時間を従業員に使うべきだと思うのです。そういう点で、今は私自身のプライベートの夢は無いと思っています。」
ご自身の会社のことを熱心に話していただいたため、山本さん個人の夢も伺ってみたところ、上記のような答えが返ってきました。自分の夢は“ミッションを実現すること”であるから、“ミッションを実現する場としての会社=山本さんそのものである”と確信されているご様子でした。
インタビューを終えて
山本さんが、経歴を語る上では、3つのポイントがあると推察します。
まずは、弁理士資格取得後に中小企業に入社されたことです。典型的な技術系企業であったことも幸いし、得意とされる分野の知識を活かしながら、経営に近く触れ、社長の薫陶を直に受ける機会が多かったことでしょう。経営者の覚悟を社員という立場のはざまで見ることができました。
二つ目は、独立開業直後に仕事が期待していたようにはいかなかったことです。そのことが幸いし、自ら機会を取りにいくという姿勢ができ上がったのではないでしょうか。機会を得て人脈を増やしていき、その人脈がまた新たな機会を呼び込みます。志師塾といった学びの場の機会を得たことも、まさに、この流れの中での必然性だったのです。
最後は、たゆまない向上心とそれを支える実直さをお持ちであることです。「私は本当に運がいいと思います。偶然の出会いがあったんです。」と山本さんは謙遜されますが、その人柄と姿勢も人脈や運・機会を呼び寄せる要素だったのではないかと思います。
それほど遠くない時期に、山本さんは目指している“いい会社”を実現されると思います。夢を実現した後も、山本さんの向上心と実直さはそこに留まらず、更なる高みを目指していくのではないかと感じました。
お別れする直前、「実は私個人の夢もあるんですよ。私の息子が法律家の道を望むなら、自分も同じ道をもう一度一緒に歩みたいのです。」と話されました。子を持つ親の感情が垣間見え、その一瞬だけは経営者の顔ではない、優しく温かい顔でした。
文:南 肇之(中小企業診断士)/ 編集:志師塾「先生ビジネス百科」編集部