世界中の人から「ありがとう」を集めたい ~株式会社エーコレクト 代表取締役 羽鳥勝也さん~

“こんなシステムがあったら便利”と次々にアイディアを形にして、日本製品の輸出ビジネスを手掛ける株式会社エーコレクト代表取締役の羽鳥勝也さん。常に自分の気持ちに正直で、人の期待にこたえたいというまっすぐな思いが羽鳥さんのエネルギーの源のようです。飾らないお人柄が魅力の羽鳥さんに、今に至る経緯や今後のビジョンなどを伺いました。

日本の商品を海外へ発信

―貴社の事業内容について教えてください。
事業の軸は大きく2つあります。1つは輸出ビジネスです。インターネット経由で受注した日本の商品を、アフリカや西アジアの一部の紛争地域を除く全世界に発送しています。もう一つは、越境ECサイト支援システムの開発です。会員登録制で、特殊な方法を用いた写真撮影や商品管理など、お客様が越境ECサイトに出品するための支援をしています。
お客様は法人が約6割です。最初は個人事業主だった方が、だんだん儲かってきて法人化するケースが多いですね。サラリーマンを退職後に、海外マーケットに活路を見出そうとする方もいます。今は、円安なので儲かっちゃうんですよね。本気で輸出ビジネスをしている人を対象にしています。

―どのように集客しているのでしょうか。
志師塾に入るまではすべて口コミでした。僕も最初は半信半疑だったんですけど、口コミでちょこちょこ依頼をしてくれる人が30名以上もいたんです。そんな頃、志師塾の(浪間)亮さんに出会ってWeb集客を開始し、今に至っています。
ホームページもコンテンツを見直して、大幅にリニューアルしました。出品までのプロセスを標準化し、徹底的に業務を効率化できる仕組みをつくってお客様に提供しています。さらに、会員になると使える特殊な写真のソフトも開発しました。

―ご自身では、どのような商品を扱っているのですか。
カメラと日本刀、音響関連の商品を主に扱っています。とくに、中古品で儲かるのはカメラと日本刀、いわゆる骨とう品ですね。好きだから目利きもできるし、日本刀は輸出時に文科省に申請が必要なので、ライバルが少ないんですよ(笑)。ブルーオーシャンですね。

自暴自棄の日々に訪れた商機

―輸出ビジネスを始めた経緯を教えてください。
以前、上尾市にあった事務所の隣に中古品買取店があったのですが、そのフランチャイズの社長である松本さんが声をかけてくれたんです。「お店においてある日本刀が売れない」という相談から始まって、「羽鳥くんに手伝ってほしい」と。実は、その頃はとても悩んでいた時期でもありました。
それまでは、日本刀にあまり詳しくなかったのですが、話を聞いてみると、売れないのはその方がPCの知識がないからだとわかり、「じゃあ、売って、売って、売りまくりましょう」って(笑)。
最初はWeb経由で、9割以上日本で販売していたのですが、日本では結局、価格競争になってしまうんです。そこで、海外に販路を求めるようになったのが、このビジネスを始めたきっかけです。

―その頃、悩んでいたというのはどういうことですか。
実は、2012年の10月に交通事故にあい、約4ヶ月入院したんです。見た目はわからないのですが、今でも左足に障害が残っています。最初は、杖がないと歩けないくらいの大事故でした。2009年にすでに独立していて、当時は、祖師谷、上尾、高円寺でパソコン教室を運営するかたわら、企業からの依頼で研修講師や、HP作成なども手掛けていました。事故にあうまでは順調に事業を拡大してきました。当時従業員も8人いたのですが、たちまち資金繰りが苦しくなりました。
今まですごく仲がよいと思っていた人が、周りからぱっと消えていったんです。右肩も上がらなくなり、手も動かない、もうやけくそでした。先が見えない中で、現実から目を背けてあえて考えるのをやめました。従業員がいるのに仕事もしないで、ぷらぷらしていたんです。雀荘に行ったり、ひとりで海外旅行に行ったりとか、1年以上そんな感じでしたね。パソコン教室も、責任者に任せて権利を手放してしまいました。
ドバイに行く前に、居酒屋で松本社長に、「明日か明後日にドバイに行って、死んじゃおうかなって思っているんですよ、海外で死ぬとカードの保険が適用されるので」。そんな切実な話をしていたら、「そうなんだ。どうせ死ぬなら俺を助けてよ」「旅行が終わったら、必ずうちに来て」って言われたんです。

偶然の出会いを必然に


―つらい時期だったと思いますが、今考えるとそういう時間も必要でしたか。
そうですね。海外では1泊1500円のホテルに寝泊りしました。部屋のドアはフック式の金具を内側で留めるだけの簡単なものだったので、外出するときは荷物を全部もって出るような生活でしたが、違う文化を見てすごく刺激になりましたね。月給5万円にも満たない人が、屋台の70、80円の焼きそばをおいしそうに食べている姿を見たのも新鮮でした。
ドバイ、タイ、シンガポール、ハワイ、他にもいろいろなところに行きました。一人旅は寂しいので、ドバイではデイナークルーズに乗船したんです。実は、その時乗り合わせたドバイ人が僕に、片言の日本語と英語でコミュニケーションをしてきたんですよ。最初は、「うさんくさいな」という印象でしたが、話を聞いてみると、日本の文化を感じる品物が欲しいって。その方は、日本の商品を購入して、手広く売りさばくバイヤーだったんです。

―それがビジネスチャンスになったのですね。
そうなんです。あの時のドバイ人、そして、松本社長との出会いがなかったら、物販をするという考えはありませんでした。
帰国後すぐに、社長に「ドバイ人がとんでもないことを言っているけど、もしかしたらいけるかも」と話したら、社長が背中を押してくれたんです。その勢いで当時のパソコン教室の生徒さん300人に「明日から物販をやるぞ」と宣言。気軽に相談してもらえるようにして、早速、資金をキャッシングで調達し、買取りを始めました。

試行錯誤の日々

―アクションが早いですね。どんなものが集まってきたんですか。
たとえば、当時デジタルカメラが主流でしたが、あえてフィルムカメラを買い取ったんですよ。いけると思いましたね。1万円で買って3万円で売れば、キャッシングも返せるだろうと。そしたら、機種によっては1万円で買ったものが10万円で売れたりして。他には、マニア向け商品、スターウォーズの限定3000本のプレミアムグッズとか、15000円で仕入れて94000~95000円で売れました。日本では不要品が海外に行けば宝になる、びっくりの連続でしたね。
最初は、お客さんが持ち込んだ商品を片っ端から買い取ったので、デッドストックが増えてしまったんです。これはまずいということになり、買い取る前に海外のサイトを徹底的にリサーチして売れ筋商品だけを買い取るようにしました。そこから利益率がぐんぐん上がってきました。医療系IT企業の営業職だったサラリーマン時代の年収は1200万円でしたが、1か月でその半分くらいの利益があがることもありました。ぶったまげました(笑)。
松本社長とタッグを組んで4か月目には、1か月約330万円の売上を達成しました。ところが、当時は業務が標準化されていなかったので、出品数が多くなると、売れた商品どこにあるかわからなかったり、類似品を誤配送してしまったりと、てんやわんやになってしまったんです。

―それで、どうされたのですか。
ATOEというシステムをつくりました。このシステムを使うと海外のサイトに商品を無数に出品できるんです。様々なECサイトとプログラムで連携されていて、単純に言うと「後出しじゃんけん」ができるんです。たとえば、仕入れてもいない商品を出品して、5個売れたら仕入先から5個買う、そうすると借金しなくていいんです。仕入先の在庫がゼロになると知らせてくれる機能もつけています。原価率が一定以上のものを知らせてくれる機能もあるので、価格変更や取り下げの判断も簡単にできるわけです。

喪失感を乗り越えて

ーATOE開発後は、ビジネスは順調に拡大したのでしょうか。
「どうにか軌道に乗ったね」と喜んだのもつかの間、松本さんが重度の糖尿病になり、突然お店に来れなくなったんです。2014年の頃でした。買取店は廃業し、実家に帰ってしまいました。今まで松本社長が、いろいろと「こんなことできない?」って投げかけてくれたから、できたことがたくさんあって毎日が楽しかったんです。僕を毎日必要としてくれて、なんでも心を許して話せた松本さん。「羽鳥くんがいてくれないと仕事ができないよ」とか、「羽鳥くん、ありがとう」という言葉を聞いて、それまでの死んじゃおうかなという気持ちが徐々に薄れていた矢先のことでした。また一人で頑張る意欲がなくなっちゃったんです。

―それでも事業は軌道にのっていたからなんとか回っていたのでしょうか。
ええ。そんな状況でしたが、2015年の夏に法人化しました。1期目はかなり大変でしたね、会社起こしたばっかりなのに、なんかぽっかり穴が開いてしまってやる気にならなかった。そんな頃、一人で悶々と考えているのは嫌なので、コミュニティに行くようになったんですよ。それまでは、異業種交流会って、ただお酒を飲むだけだろうと期待していなかったんですけど、出会った人と輸出ビジネスのことをざっくばらんに話しているうちに仲間が増えていきました。ビジネス上の関係ではなく、純粋に仲間として飾らす喋れる感覚が自分にはしっくりきたんです。
今の売り上げの95%以上は海外です。マーケットは主にアメリカです。たぶん今期は自分の目標を達成できるんじゃないかな。事業の要は、ATOEのサブスクリプション契約と、ATOEを自ら使っての物販。かたっぱしから出品して利益を得ています。あとは2ヶ月に1回、趣味程度に古物市場のオークションで買付けもしています。

志師塾によってもたらされたもの

―志師塾に入って変化はありましたか。
志師塾に入ってよかったと思うのは、誰かと一緒ではないとモチベーションが上がらないという自分の弱さが理解できたことと、それまでぼんやりしていた本当の目的がはっきりしたことです。
まずは、世界28国を対象に物販ができるプラットフォームで自社エンジンのサイトを作る。そのサイトが売れる広告システムをとりいれて、メジャーなサイトに対抗できるための仕組みをつくりたい。
その実現に向けて、今、eBay(アメリカの越境ECサイト)に代わるサイトづくりに取り組んでいます。年内に大規模なサーバーを確保するので、うまくいけば12月末に完成して、来年の4月頃にはスタートしたい。サイトへの集客は、データフィードという仕組みをつくり、従来の広告代に比べると100分の1以下のコストでそれ以上の効果を得られるようにします。その仕組みも4月に間に合わせたい。5期目にどれくらい成長できるか楽しみです。

―その先に考えているビジョンとは。
自分の越境ECサイトが売れるためには、人と同じことをやると目立たない。AI(人工知能)を用いて、音声入力するとおすすめ商品をぱっと出してくれるような仕組みを盛り込むのが次の大きな挑戦です。
僕は今45歳になったんですけど、50歳になるまであと5年。3年でできるかな。売れるためのスパイスとなるAIを用いた仕組みを導入して物販を開始する。他社がやっていない新しいことを取り込んでいく。たとえば、自分で商品を買おうと思ったら、本当に一番いいものなのか、比較したくなりますよね、商品の画面とは別にもう一つの画面に比較する商品が一覧で出てくる、そういう機能をつける。
日本ではお客の取り合いなんですよ。取り合いイコール価格合戦なので、そこで戦っても未来はないと思うんです。志師塾流の言い方でいうと、「自分の行きたいところに徹底的に進むべき」なんじゃないかって。

―志師塾の仲間とは今も交流がありますか
志師塾では、仲間を作ることの大切さにも気づかされました。
僕は得意なことを活かして、皆さんがセミナーをするときの宣伝の画像をつくったりしていますね。皆さんには、いろいろな相談をさせてもらっています。僕にはない経験した人が何人もいて、いろいろな意見をもらえます。松本社長に代わる人が何人もいるんです。ものすごい学びです。僕は、(浪間)亮さんに自分の殻を壊してもらって考え方を変えることができました。それまでの僕は変に疑い深くなって、人とコミュニケーションをとれなくなっていたんです。

尽きない挑戦

―今までを振り返って思うことはありますか
僕がいつも思っていることは、人間って究極に苦しい思いをしてケツに火がつかないと行動ができないような気がするんです。どれくらい稼ぎたいというのも、弱い目標レベルだと、「今日は酒飲んじゃおうかな」とか、「今日は仕事これくらいにしておこうか」となってしまう。でも、本当に大きな動機付けができると、今まではないものすごい力で頑張れる自分になれる。今までは本当に追い詰められないと頑張れなかったんですよね。

社名のA-COLLECTは、「ありがとうを集める」っていう意味なんです。僕からもありがとうを発信しなければという自分を戒める意味もあるんですけど。お客様を含め、僕の周りの人すべてから、ありがとうを集めるためには妥協はできません。大きな目標を掲げて進み、辿り着いたとしても、次にまた新たな目標にチャレンジしていきたい。今までみたいに遠回りせずに。誰かが完成を待っていてくれるから頑張れる。絶対に結果を出してみせます。

―ありがとうございました。

文:鈴木寧々(中小企業診断士)/編集:志師塾「先生ビジネス百科」編集部

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